エッセイ「天才は、忘れた頃にやってくる」
当社代表の若林健がサラリ−マン時代に社内報等で連載していたエッセイです。何を書いても怒られないいい会社でした。椎名誠・つかこうへい・東海林さだおを読み漁り、一生懸命文体をパクッていました
「天才は、忘れた頃にやってくる」@
1981年12月
JRの南浦和駅には、『駅員は真面目に働いています。どうか暴力行為はお慎みください』というビラが張り出されている。何でも、酔っぱらいが駅員さんにからんだ挙げ句、ポカリとやる事件が頻発したために、とられた処置だそうだ。しかし、効果があるとはとても思えない。
だいたい張り紙には、この類が多く、山道の『落石注意』の標識のように、効き目がなかったり、その通りに読めなかったりする。
昼間、歓楽街は、夜の喧噪とは打って変わって人通りもなく、こういうところへ来ると「太陽にほえろ」の刑事になった気分で急に走りだしたくなるのだが、その中のスナックに一軒、『バルサン使用中』という張り紙をつけた店を見つけた。「煙が出るかもしれませんが、火事ではありませんよ」という意味も、素直に読めない。『バルサン使用中』は、「当店ではゴキブリを沢山飼ってます」となり「うちの料理のメンバーに、今後彼らは含みません」の宣言だと解釈されることになる。
品川駅の山手線プラットホームのカレースタンドには、恐ろしくも『手洗の励行』という張り紙がされている。デリケートな私は、飲食店に従事するものが手を洗うのは当り前だと思っているので、わざわざこう書かれていると、ホームの奥にある屋根なし風化トイレに目が行ってしまう。
そういえば、女性の中に、よく勘違いしている方が見受けられる。『お手洗』というのは女性のためのもので、男性が行くのは『便所』なのだ。まず、男性の10人に9人は、小用レベルで手を洗わない。男性は、ハンドバックを持たないし、ポケットに頼りすぎた設計である背広を着用しているので、上着を着てないときは、ハンカチを持っていないことが多い。そして、通常は、それほど不潔ではないと思っていることにも起因する。この点については私も賛成だ。
東名高速の海老名ドライブインのトイレなど、日曜の午後3時ごろから異常な混雑となる。食券を買って入りたくなるような感じだが、20くらいの便器に7、8人が 後ろについて、並んで待っているわけだ。しかし、水道の蛇口の方はガラガラ。ここで「男性トイレはお手洗ではない」という法則が、学術的に証明できる。
ドライブインの男性トイレは、オープンでハンドインハンドの連帯感もあり、明るい雰囲気ではあるものの、サワデーやピコレットがいくつかあっても及ばない悪臭があり、並んでいると、なんだか自分がブタになったような気がしてくる。中にはタバコの吸いがらや味ナシガムを放り込むヤツがいて、いつしかそれが排水機能を麻痺させ、放尿中にあふれ出してくるという、おぞましい現象も起こることがある。こういうのは勘弁して欲しい。車は急に止まらないのだ。
先日、新宿オフィスビルの寿司屋へ行ったときのこと。店の厠で、偶然、板さんと一緒になった。後で ・ ・ ・ ・いろいろ握ってもらったのだが、何も知らない友人はうま美味そうにパクついていた。食べずに見ていた私は神経質すぎるのだろうか?
―――了
「天才は忘れた頃にやってくる」A
1982年3月
春が来るとホッとするのは、気候のせいばかりではない。だってそうでしょう?あの恐ろしいスキーシーズンが終わるのだから。
新宿は、スキーバス・スキー列車の出発点。午後8時を過ぎるころ、重装備の若者が集まって来るが、こちらは仕事の帰り。これはもう、勝負にならない。背広とネクタイは、ジャンパーやセーターに勝っても、ダウンやスノーブーツには負けるという力関係が存在する。
例えば、サラリーマンと学生風の目が合う。かたや「これからスキーか、羨ましいな」となり、一方では、「こんなに遅くまで、ゴクロウサマ」となる。それは、劣等感を抱かざるを得ない状況なのだ。スキーにはこの種の差別と階級がつきまとう。
「君、スキーやるの?」――今、スキーとテニスができなければ、若者の資格がないとでもいうような、社会通念がある。しかし、これは女性が男性に、「免許持ってる?」って聞くのと同じように愛情のない質問で、むしろ尋問に近いと言えるだろう。この裏には、「まさか、そんなハズはないと思うけど」という決めつけがある訳で、NOなんて答えようものなら、独身の女性に「お子さんは?」と聞いた後のような気まずさが残ってしまう。みんなが財形貯蓄をしているときにしていない、みんながラーメンライスを食べるときにステーキを注文する、みんながモンペをはいているときにホットパンツをはいている(何だ、そりゃ?)――そんな仲間外れ思考が、スキーにはあるのだ。
スキーヤーであるという正体がバレると、もういけません。ここから先は、得意のブランド確認が行われる。「板は、どこの?」「クツ、何はいてる?」「ウェアは?」……ロシニョールだとかノルデカだとかリバティベルであれば、どんなに汚かろうがバーゲンであろうが、胸を張って答えられる。けれども、こんなとき福助とかワコールとかだとトーンダウンしてしまう。他のスポーツには、こんな感覚、ないでしょう?
そして、スキーのうまいやつは皆、いい道具を使っているが、反対にいい道具を持っていても、必ずしもスキーがうまいとは限らないという『スキーヤーの定理』が厳然とある。だから、この資格を得るために渾然一体となって、いい道具を揃えるのだ。
さらに加えると、『経験ノットイコールうまいやつ』である。スキーが少しでもスポーツである限り、運動神経は重要なファクターなのだ。
優秀な成績で卒園した私にも、苦手はあった。『かけっこ』だ。忘れもしない、幼稚園の秋の運動会。背の高さの同じくらいの者同士が組んだ競技中、クボタエコ先生は、私にエールを送った。
「ケンちゃん、歩くんじゃなくて、走るのよ!!」
運動なんて、天性のものだ。ゲレンデに立って、自分より上手に滑る女性がいたりすると、クボ先生の顔がオーバーラップしてくる。とにかく、スキーなんて、いいことないですよ!行くのに時間がかかる、行ってからも時間がかかる。リフトに列を作って並ぶなんて、通勤バスの光景を見るようで吐き気がする。寒い、重い、高い、遠い、面倒臭い。スキーなんて大嫌いだし、あの押しつけがましいところが、私には恐ろしいのだ。
ところで、来年の冬には、北海道へと考えています。だれか、一緒に滑りに行きませんか。
―――了
「天才は忘れた頃にやってくる」B
1982年6月
TBSの『ベストテン』という番組で、順位が発表されるとき、すでに決まっているにもかかわらず、わざとらしく、ボードがくるくる回るのだが、これはどこかで見たことがあるぞと、超空間高密度・技術の日立的脳細胞が働き出す。
飛行機で旅行というと、何やらリッチな気分。それは、人に言いふらしたくなる。
「あのさー、オレ、来週の土曜、新潟に行くんだ」
「フーン。アッ、そう」
「(さりげなく)飛行機でなんだけどネ」
「ギェー、それはスゴイ!!」
たいていの庶民は、ここで一時的に驚きを示すので、旅行者は少しだけ元をとったような気がする。視聴者側としても、飛行機に乗ろうとする人に対しては、驚いて、さらに羨ましがってあげるのが、健全な姿だろう。それが、高い運賃支払に対するせめてもの慰みであり、社会生活におけるマナーというものだ。話が少しオーバーになったが、航空関係の方は、この『オオゲサ』が好きなのである。
空港内待合室から飛行機に向かうとき、羽田ではバスに乗り込んだりする。私は職業に貴賤ありと思っているので、このとき、路線バスと空港内バスと、どちらの運転手が偉いんだろうなどと考えたりする。技術・収入・制服姿・接客態度から仕事に対する満足度まで、いろいろな角度から考察すると、「千円札しかないのーっ。ダメだよ、細かいの用意してくんなきゃ」って言わない分だけ、空港バスの人の方が、人格崇高のような気がしている。
ローカルの空港には、発着便も少ないのでこの手のバスはない。「オイ、あれが飛行機だべや」という感じで乗り込み、『人質解放』という雰囲気で、ダラダラと降りて来るのだ。
機内には、この乗り物は特別なんだゾーという思想が充満している。
乗り込んでまもなく、使いもしない救命胴衣や酸素マスクの説明が入念に行われ、乗客の危機感をあおる。このとき、目をギョロつかせて、まともに取り合っていては、スチュワーデスに初心者であることを読み取られてしまう。なめられないためにも、そういう話には耳を貸さないことだ。
そして、離陸前には、例外なくベルトの着用を強いられる。「私らは、特別だから」とスチュワーデスがうろうろするのが、なんとなく不快なのだが、ここはやはり、乗務員と乗客が一体となって緊張しなければ不公平であり、民主主義と言えないだろう。
着陸の直前には、突然ものスゴイ音がする。「機長、やめてください」の逆噴射的状況に陥ると、にわかに機内は静まり返り、乗客は皆、窓の外に目をやる。「まぁ、海の上だから、落ちても大丈夫。」と、変に納得したり、「いや、オレは泳げなかったんだ」と気が付いたり、それはもう、ドキドキするのだ。
こうして無事目的地へ到着すると、オーゲサな乗り物に乗っていたので、気持ちも大きくなっている。「それじゃ、空港からはタクシーで。」――と。全く、世の中でオーゲサな空港やオーゲサなホテルほど、タクシーの似合うところはないのでは。しかし、財布と相談するや、現実に戻るのだ。運賃は高かった。
かくして大旅行は終わり、アマチュアの旅行者は、さらに元をとるため、しばらくは、宣伝を続ける。
「オレ、新潟行ってたんだ。ひ、ひこうきでネ〜」
―――了
「天才は忘れた頃にやってくる」C
1982年9月
パチンコにおける三重苦の問題というのがある。
以前、テレビゲームが目に悪いということで、教育委員会的によくないとのクレームがついたが、パチンコなんか、もっと悪いハズだ。実際、本格的に入れ込んで打ち止めを――なんて思うと三時間ぐらいはかかるわけで、自分の体を台の画面にエチケットライオン距離につめて、なめるように見つめ続けるのだから、これが ・ ・ ・ ・ ・ほかのものならともかく、不気味な話でもある。
パチンコ屋というのは、営利追求団体だから、各台がどのくらい出るかとか、お客の回転率を高めるためにどうするかとか、保険会社定年後第二の人生的にいろいろと計算されている。
こうした計算とは別に、『開放台配置の定理』というのがあって、入口付近は出るとか、人の通行の邪魔になるところは出ないとか…。そして、トイレに近い台が、よく出るのだ。
「質流れだけど、品物はいいんだ。安くしとくよ」の例に見られるように、ナントカだけどソノカワリという交換条件思想は、客商売の基本なのである。
店内に流れる音楽は、ひと昔前の、あまり流行らなかった、専門的には短調の曲だ。そして、そこらじゅうででチンジャラ。これに、ときどき店内放送が加わる。
「いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。本日のご来店、誠にありがとうございます…」
つまり、 ・ ・ ・ ・マイナーのミュージック+チンジャラ+いらっしゃいませで、幹線道路沿線住民も関西空港発着反対問題もウォークマンも何のそのという状況なのである。
したがって、野心に燃えてトイレのそばでパチンコしていると、知らず識らずのうちに目・耳・鼻の機能低下を招くのだ。
パチンコには、一対一の対応という原則があって、少し前までは、それがしっかり守られており、入ったのが出てくるのを確認する喜びがあった。ところが、電動台の普及と共に、これが崩されつつある、確認しているヒマは無く、画面より受け皿が気になったりする。
パチンコの極意とは、同じ強さで同じところへ、いかにして打つかというところにあるわけで、電動台はこの楽しみを奪い取った。野球で、ピッチングマシンが投手をするようなものだ。
そして、元来パチンコは日陰の身であったのに、フィーバーなんて、スロットかルーレットだか分からぬ電動台は、ピーポージャラジャラ派手であり、負けてるときなんかは、不愉快の極み。そっとしておいてほしいのである。
手打ち台全盛のころは、「あそこを二連に流して」とか「やっぱ、あの台はワク狙いで」などと、プロ意識も違っていたのだが、そのうち、「この店の電流は、通常100アンペアで、球の質量が…」なんて、理科系の優秀な頭脳が進出し、「あいつはIQが低いからパチンコも下手だ」てなことに、なっちゃうかもしれない。
電動機の場合、大量に球を買い込んで、一気に勝負を決めるというアメリカ戦略的発想で、多くの貧乏人がせつない思いをしていたのだが、それだけ国民が豊かになったのだろうか。
しかし、それでも、日本ソバとパチンコは、手打ちに限るのであります。
―――了
「天才は忘れた頃にやってくる」D
1982年10月
星座コンプレックスというのがある。
例えば8月8日生まれ、しし座の女性がいたとする。
鼻なんか、ただの穴だったりする。
笑うと金歯なんか覗いちゃったとする。
普通にしてると、怒ってるように見えるとする。
だけど、やっぱり笑わないでいて欲しい、ある意味、皆の勤労意欲向上に貢献するような女性――そんな女性は積極的にしないものだ。星座の話を。
で、男性の場合、どうかというと、例えば9月9日生まれ、色白で痩せていて、睫毛が長くスポーツはまるでダメ。笑うとき、口許を手で隠し、当然おんなにモテない乙女座の男――そんな男性は積極的にしないものだ。星座の話を。
そして、美川憲一はさそり座の女だが、私は乙女座の男である――と消極的に告白してしまうのである。
このコンプレックスを持った乙女座の男たちが、一堂に会する所がある。どこかというと、運転免許更新所。地元横浜の場合、二俣川試験場である。なんだかサケ・マス養殖といった感じだが、マスザケなんて言うと「飲んだら乗るな」の安全協会に怒られてしまうのである。場内には、退職警官風の交通安全の呪文を唱える標語おじさんがたくさんいて、新聞の切り抜きを取り出しては、「コワイデスネー、オソロシイデスネー」とやっているのだが、これが正しい運転免許試験場のあり方だといえよう。
8月28日、二俣川へ免許更新のために出かけた。手続きは三年ごとに、誕生日の一ヶ月前から受け付けられているのだから、ここに集まった男性は、ほとんどが乙女座の男たちということになる。そういえば、みんな小指を立ててコーヒーを飲み、内またで歩くのが似合いそうだ。小股なんか切れ上がっちゃってるかもしれない、顔は別として。
試験場の回りには、昔懐かしい代書屋が立ち並び、どういうわけか、皆ここに吸い込まれて行く。代書屋さん――専門的には司法書士という資格を持った人で、住所・氏名・生年月日を素早く聞き取り、申請書を代筆する。いわゆる履歴書作成のプロだ。少し慣れれば誰でもできそうだが、理論武装しているところと、ニッコリ笑って九百円請求できるところが、違うのだ。皆、勝手が分からず、また面倒臭いので、ついつい頼んでしまうが、富士山八合めのコーラ450円のように、やはり商売は呼吸である。
申請が終わると、しばらく待たされ、名前を呼ばれた者は写真を撮るという。「シマッタ、免許書には写真がいるんだった。イカンイカン、よそ他所行きを着てくるんだった」と慌ててあたりを見回すと、撮影室の前には、ご親切にもカガミが用意されているのである。二人、三人とクシを取り出し、カガミをジッと見つめて陶酔している。しかし、これは誤りである。食事してるとこと、用を足してるとこと、化粧してるとこは、人に見せるもんじゃありませんヨ。トンネルに入った電車の窓に映った自分の顔を見るのも恥ずかしいというのが、正常な感覚なのだ。美醜には関係ない(こだわってるかナァ)。とにかく、人前でカガミを見るのは悪いことなのである。見とれてしまうのは、もっと悪いのだ。それがイイ男だったら、もっともっと悪い。
こうして半日がかかりで手続きが終わる。待ち時間と並んでる時間がやたら長く、クタクタになってしまう。とはいえ、クタクタになっても不合格になる心配はほとんどないのだから、やっぱりここは正しい試験場なのである。
―――了
「天才は忘れた頃にやってくる」E
1983年1月
冬が来て寒くなって嬉しいのは、白い模造紙を短冊形に切り取って、比較的表情のない文字で、
『鍋料理、始めました』
と張り出した店を見つけたときだ。
このコピーは、決められたわけでもないのに、全国的に支持されているようだ。これには、「とうとう冬になっちゃいました。寒いですネ。ところで、ウチの店も鍋料理を始めたんですヨ。ボーナスも出たことですし…あっ 、できれば二人前からにしてもらえるとありがたいんですが…エヘヘ。毎度どうも」という意味が込められているのである。
この種の店は、基本的に短冊が好きなのでもう店の中、めったやたらに七夕祭りになっている。メニューなんて言ったら張り倒されるかもしれない。店自体がメニューなのだから。
ところが、こういうところは、良質の紙を使ってないので、すぐに黄ばんでしまい、その結果、店自体が黄ばんでしまうのである。黄ばんだ店が、良質の勘定を求められないのは、当然の帰結といえよう。
で、私は熱烈なお酒ファンであるし、良質の勘定を求めないことについて、深く尊敬の念を抱いているので、こういうところが大好きなのである。
これは、新宿駅西口の仲間に入れていいのかどうか、よく分からないのだけれど、JRのガード横に『ションベン横丁』というのがある。ちょっと信じられないセンスのネーミングだが、困ったもんだ。行く者の立場ということを真剣に考えたことがあるのだろうか。いや、そこに勤める者の身になって欲しい。
「お勤めはどちら?」
「新宿です」
「新宿の――?」
「ションベン横丁です」
これは困るのである。恐らく、この界隈に従事する人たちは、そう呼ばれているのが、イヤなハズである。
それはそれとして、横丁は酒部門と定食部門に分かれており、昭和二十年代の面影を残した店が林立しているのだ。両者は生保と損保のように、一線を画しており、定食屋には酒類を置かないというルールがある。
私は、不本意ながら独身貴族であるので、こういう店には滅多に行かないのだが…給料日前にはよく行く。
先日、確かボーナス支給日だったが、横丁のT(匿名希望)という店に行ったときの話。
一階が満席のため、二階へ上がっていくと、ビニール袋を渡される。飲みすぎたら使えという意味かと思ったら、クツを入れるのだそうだ。左手にコート、右手にビニール袋を抱えて席に就く。何ともワビシイ。貴族なのにである。
店内には、す饐えたような臭いが充満している。こんな日本語も、こんなところに棲息していたのである。貴族としてはツライ。
ゴキブリが恐くて酒が飲めるか!
唐突だが、これも状況描写である。
メニューは豊富だが、どれもサトウジョウユのアマカラ味になっている。火が通っていることが条件に、貴族らしく豪快に注文し、ビールをガブ飲みする。この店において、相対的にビールの評価が高い。何と、一流料亭と同じ味である。行ったことはないが。
ひととおりワイワイやって、勘定を済ませ、ちょっとトイレに行くと、先客アリ。並んで待っていたら、店員が大声でまくし立てる。
「お客さーん。店の前で、しちゃいないよ。イイヨ、イイヨ。ここはションベン横丁なんだから」
――――了
「天才は忘れた頃にやってくる」F
1983年3月
キャベツというのは、本当に実力のない食べ物だと思う。野菜の宿命ではあるが、単独で完全な主役として登場することがないし、トマト・セロリのような味はなく、タマネギやピーマンほどの個性も持ち合わせていない。レタスのような他の野菜との協調性もなく、孤高を保とうとするので、悲壮感さえ漂う。国際軍団のアニマル浜口である。
さて、付け合わせにキャベツがいる場合、テーブルには必ずソースが付き添っているのだが、このソースが決定的に貧乏臭い。ベトツキとコビリツキが絶えずつきまとう。
例えば、カキフライ定食六百八十円――カキフライ6個、ポテトサラダ、ご飯、みそ汁、お新香、キャベツ――という状況について、考えてみよう。
まず、カキフライ1ヶに対して摂取すべきご飯の分量を目算し、この計画に基づいて、おもむろに箸をとる。序盤から中盤にかけては順調なペースで進んでいくのだが、終盤に突入したとき、深刻な事態にブチ当たる――おかずがない!!そこで、キャベツをとなるわけだが、もともとキャベツには、ほとんど味がないので、実際はソースを食べているような惨めな食卓となってしまうのである。定食が運ばれるとすぐに、ソースに手をかけるので、ポテトサラダにも、ソースがジワジワ浸透していることも付け加えておこう。とにかく、味の無法者、ソースは貧乏臭いし、こんなことになってしまうのもキャベツに責任がある。
とはいえ、料理というものは、こんな無味な素材にさえ手を加えていかなければならないのだから、事実を隠蔽する才能を強く必要とする。
そして、オシャレというものが、やはり事実から遠ざかろうと努力することであるからもしかしたら、オシャレな人は、料理がうまいと言えるかもしれない。
やっと、本題に入るのであります。ゼエゼエ。
男性のオシャレは、なかなか市民権を得られないが、世の中は過激にエスカレートしていくのが習いだから、そのうち『化粧』なんてことが、常識化するかもしれない。
現行では、『スタイル』が、メインテーマとなる。
新しい靴を履いて外へ出ると、不自然にピカピカして、何となくウレシハズカシイのだが、履きこなしていない靴のかかとというのは、痛くて邪魔なものだ。そんなとき、靴の両方が同じように痛いのではなくて、特に痛む側があり、そのまま歩くと、片足を引きずったようなユウジロー歩きになってしまうのである。
私見では、石原裕次郎が、片足をツッパラせてゆっくりと歩くのは、新品の靴を履いているのではなく、足が余っているからと考察する。
女性には、ハイヒールという政府公認の強い味方がいるので、短い足というものが、テーマになることは少ない。むしろ、足の長い非国民型少数派女性が、その成果発表のためにペッタンコシューズを開発して抵抗を示し、短さの隠匿ではなく、長さの強調を主題としている。
ところが、男性においては、ノータリンの有権者が多いため、強く短さを意識させられてしまうのだ。
以前、ベルボトムのジーンズが流行ったころ、私がそれを着用すると、ストレートジーンズに変化したものだ。ワッハッハ。
長足の進歩という言葉があるが、短足者は進歩しないのであろうか?
―――了
「天才は忘れた頃にやってくる」G
1983年6月
生産の三要素は、資本・労働・土地である。肥料の三要素は、窒素・リン酸・カリである。では、病気の三要素とは何か――。それは、頭痛・腹痛・発熱であると、一方かつ大胆に分類してみたい。身体の具合が悪くなるということは、この中の一つまたはそれ以上の症状を呈するということなのであるが、痛みというヤツが、なかなか曲者である。
例えば、腹痛を訴えて医者に診てもらうとする。医師は、患者の腹部をペコペコ押えて、「痛かったら言ってください」なんて聞いてくるのだが、そんなとき、こら堪え性を試されているようで、とてもつらい。男たるもの、人前で、そう簡単にはイタイなんて言えないものだ。だいいち、痛いということばのウラには、その人の生いたちから経済力、はたまた人生観までが微妙にかかわってくるのであって、それを人に的確に伝えるには、生半可な学問では危険窮まりない。何でもない体にメスを入れられたり、手遅れになってしまったりするのである。
つまり、どんな名医でも、どこがどの程度痛むのかを把握することはできないが、反対に、どんなヤブでも、熱があるかどうかは、触ってみれば分かるのだ。
主として女性に多くみられる体温計ファンには、いつも驚かされる。ちょっと体がだるい、風邪気味だと言っては熱を測るのである。だいたい、本当に具合が悪ければ、こんな暢気なことをしていられるハズもなく、利用者の多くは、せいぜい病気度1から2といったところ。少し早めに寝れば、翌日はケロッと治るというのが常であろう。普通の人間は、なかなか病気になる機会に恵まれないので、このときとばかり、気持ちは悲劇のヒロイン、不幸な身の上を案じ、肺炎に結核にと希望に胸をふくらませるのである。
さて、熱を測定するという行為を起した以上、周囲の手前、黙って引き下がれるハズもなく、最低の赤字ライン37度線は、死守したいものだ。
結果が期待外れに終わったとしても、冷静さを失わず、「私、平熱が低いの」と言って、首の座り悪く、フラフラとよろけてみせるぐらいの責任感を示して欲しい。
体温を測るということは、病人としての実力を示す、世間に対するアピール以外の何ものでもないので、利用者は総じて熱が高くあることを切望しているのだ。であるから、赤字ラインを超えたときは、ホットして、むしろ喜んでいるというのが、世の中の常識というものである。だから、体温計を自分の意志で使っている者に対しては、たとえそれが重病患者であっても、間違っても同情などしてはいけない。熱があるということは、とてもウレシイことなのだ。
それにしても、医者は体温計で、何を判断しようとしているのだろう。体温別の治療法というのがあるのだろうか。
スピードガンの表示に「やっぱり松坂の方が上原より速いネ」と欣喜雀躍し、10年前からある薄汚れた極めてイイ加減な態度のヘルスメーターに乗って、「少し太ったな」と初めて納得する。
本当は、世の中が、相対的なものだからこそ面白いのであって、本質を見逃してはならない。
だけど、収入が相対的に低い場合、ちっとも面白くないのである。
―――了
「天才は忘れた頃にやってくる」H
1985年4月
巨人軍の江川投手は、元スチュワーデスの奥さんを持ち、不二家のコマーシャルに出演し、源泉徴収も受けていないが、私と同年齢である。そして、彼がカーブの切れが悪くて悩んでいるとき、私はお小水の切れが悪くて困っているのである。
最近、眼も悪くなってきた。昼間から灯りの下で事務を執る勤勉サラリーマンの宿命であろうが、薄暗い省エネー間跳び照明の廊下では、人の顔をハッキリ判別できない。なるべく人と眼が合わないように、うつむき気味に歩くのだが、こういうのをロウカ現象というのだろう。
江川投手と同年齢であっても、私はどんどん老化している。これは、泳いだ後気付いたのだけれど、ながーい友達のハズの髪の毛が頓に薄くなってきた。これがワカメであれば、濡れると増えるのだが、髪の毛の場合、逆に量が減るようだ。
とにかく、問題となるのは、長さででなく、密度である。野球でいえば、ホームランより打率。しかし、この率は練習しても無駄だし、前年度を上回るということもないのだ。
みんなで選ぶ日本五大蔑称として、@チビAデブBハゲCバカDブスが挙げられる。このうち、CとDは本人にほとんど自覚がなく、Bについては、自分より他人が先に気付いてしまい、それだけにショックも大きいというのが、体験者に共通した所感である。それはさておき、これらはどれもが、カナ2文字濁音付きという特性を持っており、若年層においては、それぞれの語間を延ばすことによって(例・バーカ)、相手に致命的ダメージを与えかねないことばなのである。そして、@からDのすべての条件を満たすのは、ロッテの落合でも難しいことである。
友人に痔で苦しんでいるのがいるが、痔ぐらいなら間違って治るかもしれない。薄くなってみて初めて分かることだが、ハゲてる人にとって、ハゲの話はつら辛いものである。から辛いものを食べるとつら辛い痔の場合、本人にも患部を大切にしなかった多少の責任はあるが、髪が薄くなるのは、不可抗力なのだ。
話が暗くなってきたが、自分が薄くなった今、私は敢えて禁じられたハゲ話に挑み、琴線に触れてしまうのである。辛い話である。
お相撲さんにハゲてる人はいないが、マゲは彼らの存在そのものであるし、彼らの不本意な幼年時代を考えると、もうそれで充分なのである。
ハゲに悪人なしと言うが、趣味で剃っている人は別として、囚人のほとんどが、むしろむさくるし頭である。だからホントなのである。
広告業界の掟として、花嫁の父には、必ず白髪頭を使えというのがある。実際には違うのだが、ハゲ頭では、娘を育ててきた父親の苦労というものが出てこないし、シリアスな訴えが浮かんでこなくなるからである。
通勤電車で注意して見ると、健全なサラリーマンの多くに、年齢頭髪反比例の法則が確立しているように思える。髪の毛は女性ホルモンと結託しているのだから、『男らしい男はハゲ頭に限る』と結論してしまおう。
これに対し、マスメディアに登場する人々は、喜劇人とNHKのアナウンサーを除いては、ほとんどふさふさしている。だが、けれども、しかし、そんなハズはないのである。かつら会社が、本人の承諾なしに業務実績を発表したら、エライことになるのだ。
チョウの種類が多いように、ハゲの種類も多い。私の場合、まんべんなく薄くなっているのだが、まんべんなくというのは、日に焼けたときに言うのが正しい使い方であって、私のは間違っているのである。
10年ぐらい前、石油ショックとかで、あわててトイレットペーパーを買いあさったのを記憶している。
・ ・かみが不足してあわてるというのは、歴史的に正しい態度なのである。
―――了
「天才は忘れた頃にやってくる」I
1991年8月
「ハゲは風邪ひかない」いや「顔のデカイ奴は風邪ひかない」違う…とにかく風邪をひかない。正確にいえば、ひいてもすぐに治ってしまう。入社以来、病気で休んだことは一度もない。秘訣は?と問われれば、「夜遅く寝て朝早く起きること」と答えるので誰も信じてくれない。しかし、沢山お酒を飲み続ければ、風邪にツケ入るスキを与えないし、眠っている時間が短いと、寝冷えをしないのだ。
という訳で、肝臓をやられました。体重もどんどん増え続けている。入社時60キロが現在75キロ。このペースで順調にいけば、定年までに大台に乗るだろう。大相撲の新弟子合格基準に身長が足らないが、体重はクリアした。ということは、ついにお相撲さんよりデブになってしまったのであります。
健やかに太るためのポイントは5点。
@ 午前5時に起きてニワトリと健闘をたたえ合う。
A 朝食をしっかり摂り、最低でも一日三食をキープする。
B 移動は徒歩を避け、スタミナを消耗するスポーツは、一切行わない。
C 女性社員に「お疲れ様」とチョコレートやアイスクリームを買ってきて、「これ太るんだよネ」とイヤ味も忘れずに一緒に食べる。
D 放課後、「メシ喰いに行こう」と貧乏で従順な社員を連れ出し、と言うのはウソで、酒ばかり飲んで、最後にラーメンを食べて帰る。
まさに、健全なる精神は健全なる肉体に宿る。逆もまた真なりだ(何のコッチャ?)
育ち盛りの私としては、変化していく体を楽しみながら、アンコ型の営業マンで新境地を開くべく画策中なのである。
―――了
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